非実在少年

東京都の例の条例を見てみました。

ツッコミどころが満載だぜ。


明確性の原則はさておき、「検閲」にあたるんじゃないかとそわそわしています。


以下の二点が気になります。

1全く性的描写に触れないで育つ子どもは、「健全」なのか。健全ということばを吟味してない。…プレエロ本があるからいいってか?
2過剰な規制表現物それ自体を規制(とくに所持規制)する以前に、別のより緩やかな規制方法があるのではないか。問題は「適切でない者」が「適切でない物」にアクセスするところにあるのだから。


クリーンルームで育った子どもに、(ちょっと前の)行政が大好きな「生きる力」が備わるのかと思うと、僕は疑問ですね。使われるべき文脈は異なりますが、子どもには「可塑性」があるのでしょう?それに、法律上も、事実上も、いろいろな保護が与えられてる。その保護下にあるときに、危なさを学ぶのが大事なのではないでしょうか。大学に入ってから暴走した子どもとか、僕は見たくありません。


青少年保護が、いつの間にか青少年を直接の保護対象としない非実在青少年にまで保護が広がり、憲法著作権法で保護される表現・文化の多様性がないがしろにされているのは、いかがなものかと思いますね。(※若干のミスリードを含ませております。…そのうち、宇宙の権利とかいいだすぜ?歪んだ形の、権利概念の拡大ですね。)


性描写は、いわば人間の本性・本質に関わるものなのだから、たしかにナンセンスな表現物もあるだろうけれど、その区別は曖昧で、とても難しいことを改めて感じました。


表現に関わるデリケートな問題ではあると思いますが、だからこそ、1「何を」保護するための条例で、2「手段」は適切かを、慎重に吟味していってもらうことを期待します。倫理感を押しつけるのが法ではないのだからね。